桐山昇、栗原浩英、根本敬『東南アジアの歴史 : 人・物・文化の交流史』有斐閣, 2019.
総じて人の移動に重点をおいている。植民地期は共産主義とナショナリズムによる抵抗、独立後は経済統合と国境の希薄化という点から捉えている。
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古田元夫編『東南アジアの歴史』放送大学教育振興会, 2018.
手堅く書かれている。東南アジア世界の特徴を良く捉えているが、逆に言うと、さほど新しい見解というわけでもない。基本的には次のような流れ。多様な世界であり、外部からの影響を常に受け続けてきたのだが、同時に在地の文化も力強く、外部からの影響により在地の文化が消し去られたわけではない。ASEAN設立は、文明の受け手だった地域が、世界に向け、新たな価値を発信するという点において衝撃である。
1.東南アジアの特徴 古田元夫
2.東南アジアにおける地域と国家の形成(~14世紀) 坪井祐司
3.交易の時代と港市の繁栄(15~17世紀) 坪井祐司
4.近世国家群の展開と再編(18~19世紀) 坪井祐司
5.植民地支配の進展 長田紀之
6.東南アジア経済の再編制 長田紀之
7.近代ナショナリズムの形成 山本博之
8.日本の東南アジア支配 古田元夫
9.独立の夢と現実 山本博之
10.ベトナム戦争 古田元夫
11.東南アジアの地域統合の模索 山本博之
12.開発主義―国ごとに豊かさを求める時代 西芳美
13.冷戦体制の崩壊とASEAN10の実現 西芳美
14.経済発展と政治 西芳美
15.総括―ASEAN共同体発足から見た東南アジア史
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中野亜里他編著『入門東南アジア現代政治史』福村出版, 2010.
事実と政治区分を抑えることに重点が置かれている。
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加納啓良『東大講義 東南アジア近現代史』めこん, 2012.
本書は一人で書かれており、経済史の描写が多く、「社会史、文化史の分野についてはほとんど触れていない」(230)という限定もいさぎよい。
第1章 東南アジアの概況と近現代史の時代区分
第2章 近代以前の東南アジア史
第3章 欧米植民地支配の拡大
第4章 後期植民地国家の形成と経済発展
第5章 植民地支配の帰結とナショナリズムの台頭
第6章 植民地支配の終わりと国民国家誕生
第7章 ナショナリズム革命の終結と強権政治の展開
第8章 製造工業の発展と緑の革命
第9章 1980年代からの東南アジア
第10章 20世紀末以降の東南アジア
このような章立ての下での、節や項が充実している。基本的には移動と交換が主眼に置かれている。その上で、著者は場合によっては政治史を組み込むと述べている(230)。つまり、経済→政治→社会・文化というレベルわけがあるように思える。つまり、この本を教科書を使うのだとすると、経済史はカバーされ、その上で簡単な政治史を論じ、文化・社会に触れるということになろう。ただし、幾つかの章では、相当に経済史的な傾向が強いため、学生が経済を中心とした東南アジア史に関心を示すかという心配はある。
やや一般的な史学の単語を使えば、基本的な時代区分としては
近世世界 第2章
西洋諸国による領域的支配と「近代」 第3章、第4章
反植民地主義のナショナリズムから国民国家樹立へ 第5章、第6章
開発主義 第7章、第8章、第9章
民主化と経済の多角化 第9章、第10章
といったところか。
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桜井由躬雄『前近代の東南アジア』放送大学教育振興会, 2006.
古代史から西洋植民地期まで。東南アジア史を扱うと、どうしても地域的な多様性をどのように捉えるのか、という難しい問題がある。ナショナリズムは、東南アジアの場合、比較的新しいので、多様性が国家・社会ごとに分けられるわけでもない。東南アジア史には、この問題がつきまとう。著者はこの難問を歴史圏という形で対応しようとする。著者なき後に求められるのは、この歴史圏が20世紀ナショナリズムにどのように引き継がれるか、という点の解明だろう。
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桜井由躬雄『東南アジアの歴史』放送大学教育振興会, 2002.
院生の時から著者の共著や『緑の野帳』や『ハノイの憂鬱』といったエッセー風のものは読んできたのだが、過去数十年にわたり東南アジア史をリードしてきた著者の東南アジア史観全体が分からなかった。『東南アジアの歴史』はこの要望に応えるものになっている。
通常の放送大学の教材は200頁から300頁ほどだと思うが、この本は431頁の大著である。
はじめに
1「東南アジア」概念の成立
2地域としての東南アジア
3原始時代の東南アジア
4東南アジアの中世
5交易の時代前期
6交易の時代後期
7植民地のはじまり―東南アジアの18世紀
8東南アジアの植民地化
9二重構造の時代
10民族主義の時代
11第二次世界大戦
12バンドンの夢―独立の時代
13第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)
14開発の時代
15戦場から市場へ
東南アジア史を深めるための参考文献
東南アジアという多様な地域を一つの歴史として論じるのは大変な知的努力が要される。著者の場合、おおむね二つの方法でこの多様性に対処している。一つは歴史圏という考え方である。「共通した自然環境の上に文化圏、政治圏、経済圏の重なりがあり、しかもその住民が共通した歴史経験を共有する圏が成立したとき、これを歴史圏と呼ぶ」と規定している(55頁)。
もう一つが、民族主義である。反植民地主義の根拠や国民国家が成立した東南アジアを捉えるべく、民族主義の歴史的主体性を肯定している。民族主義(ナショナリズム)の起源を植民地主義への反発から捉えるという点において、『想像の共同体』とは異なる理解を示す。特に10章から14章までは民族が主体化されている。
ただし、興味深いのは最後の一章である。やや長いが引用する。
「国際市場経済は人類史が到達した「一つの文明」である。東南アジアに渡来した過去のすべての文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、植民地主義、民族主義、そして社会主義がそうであるように、国際市場経済もまた、歴史圏の統合の原理としてはなばなしく登場し、やがて地域の文化の反乱に直面し、やがて静かに環境に適応してその姿を変えながら定着していくだろう。東南アジアの地域はいま横暴な市場経済文明を使いこなす過渡期にある。」(395)
つまり歴史圏とは伸縮可能で、その時代においては時の政治権力と結びつき、さらに言えば時々の歴史叙述の根拠にもなるのだが、それそのものが可変であることが論じられている。また、この引用は円環的な歴史観を持たなければ書けないものだろう。グローバリゼーションが前提としがちであるのは、村落→ナショナル→グローバルという段階があり、グローバルの次はない、国際企業が人類史における最も効率性が高い歴史主体であり、歴史主体の最終形態であるというような認識であろう。しかし――著者はいう――これもまた「地域の文化の反乱に直面し」、相互解釈不可能的な段階にまで多様化していき、異なる歴史圏へと分裂していく。
こういう長期に見る目とやや予言的が言辞が著者の魅力だ。
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