基本的な立場としては、誰が何を調べようと、きちんとした学問的な手続きを取れば、良いと思っています。ここに書いてあることは、私岡田が色々と研究した中で思いついた課題です。別に占有権や先発見主義を主張するつもりはありませんので、参考になるようであれば、どんどん研究を進めてください。
・アメリカ植民地期フィリピンの歴史家研究―E・H・カーの文言にあるように、過去を知るのであれば、歴史家を知らなければならない。20世紀末のフィリピン史をめぐる論争で出た論点が思いつきの起点だ。しかし、研究が進んだとは言えない。この手の研究は徹底的にやる必要がある。可能な限りの「悉皆的」な資料収集の上で行うべき。同時代のもののみならず、独立後フィリピンに彼らの歴史学がどのように解釈されてきたかも。その前提として、どういうフィリピンにどういう歴史家がいるのか。有名どころを除くと良く知らない。例えば、フィリピン大学歴史学部にどのような歴史家がいたかの一覧すらない。(20.12.10)
→Curaming, Rommel A. Power and Knowledge in Southeast Asia : State and Scholars in Indonesia and the Philippines. Routledge, 2020.がこの問題に取り組んでいる。ただし、どちらかというと、独立後のフィリピン史学について。(22.5.13)
・アメリカ植民地期初期の植民地法制とその運用ー文化史的には1907年の植民地議会の開設と共に、革命に根差した文化的な抵抗が低調になったという。扇動法や国旗法がどのようにその後、運用されてきたのかの研究がない。最近の法制史の顕著な業績としては、AnastacioのThe foundations of the modern Philippine stateがあるが、アメリカの自由主義の伝統をあまりにも無限定に当然視しまっていて、植民地社会の衝突がうまく捉えられていない。これら特定の思想統制法の判定法的な研究が求められる。(20.12.13)
・フィリピン・タガログ語植民地文学史―全体的には、植民地期の研究は低調で、さらにその文化的現象については十分な研究がなされてこなかった。英語文学との比較はもとより、タガログ語文学内部であっても、ジャンルごとの差異は大きい。戯曲、プロレタリアート小説、短編小説、詩で、植民地主義の捉え方が違う印象を持っている。この点の論証には、やはり刊行されているものに限っても、精読しなければならない。(20.12.17)
・「意識」「制度」から見た比較植民地史―結局、歴史叙述は歴史家に依るところが大きいのだが、誰が同時代の歴史を、どのようなジャンルで書くのかは大きい。ナショナリストは「意識」を重視し、宗主国人や植民地エリートは「後者」を強調する。この傾向があるなかで、やはり一植民地を越えて論じることは、植民地主義が何であるのかを探究するためにも必要だろう。求められる能力としては、とにかく現地社会の言語と宗主国の言語だ。例えば、フィリピン、朝鮮半島、台湾、ベトナムでやるのだとすると、英語、タガログ語、韓国語、日本語、中国語、ベトナム語、フランス語は必要になる。インドネシアやマレーシアを対象とするのであれば、マレー語とオランダ語、それにジャウィを読めるようにならないと。完璧主義は当然捨て去らなければならないが、目が回るほどだ。また、残りの人生との競争になってしまう。(20.12.10)
・東・東南アジアの比較植民地教育史―これをやるためにはそれなりに比較植民地史が必要になるが、ニーアル・ファーガソン的な言い方をすると、公教育という同じアプリケーションの適用だ。もはや一宗主国・一植民地とすべき理解の枠組みはナショナル・ヒストリーと共に葬り去られており、結局近代植民地主義とは何であったのかをあらためて問うべきだろう。(21.03.10)
・フィリピンにおける国民文学史研究―モハレスの優れた研究*があるが、あまりにも「国民文学研究」としての基礎がない。例えば、パランカ賞の受賞作品の一覧すらないし、どのような選考過程があるのかも明らかでない。現在では明らかに映画やテレビ番組が「大衆的」だが、これらは人の内面を明示しないメディアなので、やはり文学に惹かれる。(20.12.10)
*Mojares, Resil B. Origins and Rise of the Filipino Novel : A Generic Study of the Novel until 1940. Quezon City, Philippines: University of the Philippines Press, 1998.
・東南アジアの環境・災害研究―東南アジアにおける環境史に、ようやく着手したところ。基本的なデータ・セットの概観すらできていない。つまり、どのようなデータがあるのか、とりわけどのような地理的展開の中で展開してきているのかが分からない。現地に入り、その場で何が起きているのか、と言う人類学的な手法も重要だが、まずは全体像を知りたい。今後、この分野での研究は今後盛んになるだろう。(20.12.10)
・ウィルソン政権期の脱植民地主義―ジョーンズ法は、プエルトリコ史、フィリピン史、カリブ海史、(メキシコ史?)で個別に論じられているようだが、この国際主義者の構想のもとで、各国のナショナリズムがアメリカの国内政治にどのような影響を及ぼしたのかは、論及がない。マネラのWilsonian Momentはあるが。(20.12.10)
・コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの歴史―アジア太平洋戦争まで、フィリピンや台湾からの留学生が多かった。ここでの教育がどのように植民地教育に寄与し、またナショナリズムに貢献したのか。また、ここをハブとして、どのような移動や友情が生まれたのか。(20.12.10)
・比較性暴力史―このテーマは、とにかく「記憶の政治」と関わりが深い。アメリカ裁判と憲兵での論文を書くという宿題を進めつつ、一つのモデルとして日本軍による性暴力を論じたい。『軍事史学』やアメリカのアジア太平洋研究のような、よりオーソドックスな手法も学ばなければならない。当然だが、それに加え、今も続けている、裁判資料や戦記ものの読解も進めなければ。あとは、アジア歴史資料センターのデータベースや国立公文書館の資料も利用できるようにしたい。(20.12.10)
・アメリカ軍におけるマスキュリニティの文化史―とある予算をもらい、日本占領期および冷戦初期に米兵が読んだペーパーバックを70点くらい集めて、読解してきたが、そのままになってしまっている。表紙のグラフィック・アートが内容と同様に重要ということがあるとの指摘が引っ掛かっている。明らかに手を広げ過ぎたのだが、きちんとやらないと。(20.12.10)
・東京近辺のGHQ占領下における性暴力研究―これも数年前に手を付けて、もっとやらねばと思っていたら、結局は上述のフィリピン戦の性暴力の研究で手一杯になってしまい、進んでいない。「慰安婦」問題のネガとして、同族の女性に対する性暴力をなぜ東京都民は忘れてきたのか、という論点を追及したい。(20.12.10)
・冷戦期日韓における英語文学研究―ピッチョンドの『因縁』を読む機会が以前にあったのだが、とても面白かった。とくに彼のアメリカ経験が興味深い。詩人ロバート・フロストに会うなど。ただし、ピッチョンドはシェークスピアの研究者として知られているとのこと。1945年以降の日韓において英語文学研究がどう根付いていき、それが日韓の対米依存にどのように寄与していったのか、こういう研究もやってみたい。(20.12.10)
・フィリピン政治史―アメリカ植民地期、コモンウエルス期、日本占領期、そして1940年代~50年代と、この時期にフィリピン政治の原型ができたと理解できないだろうか。植民地→他民族指導の下の半独立→独立という系譜を歩んでいるが、おどろくほどの共通性があるのではないかと思う。つまり、トップダウンの改革、エリート主義的指導観、リサールの利用等々。文化政治(政治文化ではなく)としてこれらの1930年代から50年代を論じるのは実りが多いように思う。(22.02.02)
・被害と人権と大量死の国際比較―アジア太平洋戦争の「記憶の政治」には、それそのものに歴史がある。この内、それぞれの国民において、被害の類型が異なる。それが、国民の記憶へと結びついている。一部は、なにも戦後に始まった話ではなく、戦時期のメディアにすでにみられる。例えば、日本であれば空襲、韓国であれば強制連行、アメリカ・オーストラリア・イギリスであれば捕虜、フィリピンやインドネシアでは憲兵による拷問と処刑、こういう「記憶の政治」をメディア史として論じる(22.02.02)
・カトリック社会の比較研究―フィリピンのルソン島とビザヤ地方はカトリック社会と言われる。また、フィリピンのカトリシズムは折衷主義(シンクレティズム)とも評される。しかし、宗教社会論としてフィリピン社会が他のカトリック社会と比較されることはない。グローバルヒストリーの一環として、例えばアイルランドやポーランド、ラテン・アメリカなどとの比較も可能に思われる。とりわけ19世紀後半に注目したい。(22.5.13)