近現代史

植民地から国民国家へ、そして21世紀世界へ――東南アジアにおける統治・抵抗・発展

本授業では、東南アジアの多様な統治体制がどのような経緯から出来上がっていったのかを学びます。20世紀初頭には、タイを除く、ほぼ全ての社会が欧米列強の植民地支配下に置かれました。およそ三つの層が現在の東南アジア世界を作り上げたと考えられます。第一の層としては、欧米列強がやってくる前の宗教的世界――イスラーム、上座仏教、カトリック、儒教、精霊信仰ーーがあります。第二の層としては、英仏蘭米による異なる植民地政策とこれらの植民地主義からの解放の形、そして第三の層としては20世紀に中葉に独立したのちの歴史経験――とりわけ冷戦期の経験――があると言えるでしょう。

東南アジア世界は多様です。また、共通文化もほぼありません。東南アジアとは、いわば文明の「受け手」であって、その影響の受け方によってそれぞれの社会の違いが生み出されてきました。本授業における基本的な問いとしては、それぞれの社会がどのように国民統合をしてきたか、というものです。細かい点を理解するよりも、大きな流れ、それぞれの社会の違い、それにも関わらず「受け手」としての類似性を学ぶことを目標とします。

【全体を通して】
東南アジア関係の新書
東南アジア史の入門書

【各回のテーマ・文献とノート】
3.ガイダンス、東南アジア世界の概要
文献:古田元夫「地域区分論」『岩波講座世界歴史―世界史へのアプローチ―』岩波書店, 1998.(ITC-LMS)

[植民地支配に抗して]
4.抵抗運動と宗教(ジャワ島、ルソン島、ベトナム)
文献:池端雪浦「フィリピンにおける植民地支配とカトリシズム」石井米雄編『講座東南アジア学 東南アジアの歴史』弘文堂, 1991.(ITC-LMS)
5.二つの上座仏教国家(タイ、ビルマ)
文献:石井米雄「上座仏教の構造」『タイ仏教入門』めこん, 1991.(ITC-LMS)

[植民地主義の諸相]
6.植民地支配の経済学(華人)
文献:酒井忠夫「近現代シンガポール・マレーシア地域における華人の社会文化と文化摩擦」同編『東南アジアの華人文化と文化摩擦』厳南堂書店, 1983.(ITC-LMS)
7.植民地統治における民族政策(マラヤ、フィリピン、ミャンマー)
文献:左右田直規「植民地教育とマレー民族意識の形成――戦前期の英領マラヤにおける師範学校教育に関する一考察――」『東南アジア――歴史と文化――』34(2005).
8.山と川と少数民族(ボルネオ、インドネシア外島、ルソン島山岳地)
文献:石川登「境界の社会史 : ボルネオ西部国境地帯とゴム・ブーム」『民族學研究』61(4) (1997): 586-615.

[脱植民地化]
9.日本占領の衝撃と脱植民地化の政治(フィリピン、インドネシア、ベトナム、ミャンマー)
文献:後藤乾一「総説」池端雪浦他編『東南アジア史8 国民国家形成の時代』岩波書店, 2002.(ITC-LMS)
10.市民か、民族か(フィリピン、マレーシア、シンガポール)
文献:シャムスル、A・B「東南アジアにおける国民形成とエスニシティ——マレーシアの経験より」綾部恒夫編『国家のなかの民族——東南アジアのエスニシティ』明石書店, 1996.(ITC-LMS)

[冷戦期]
11.平等か開発か(ベトナム、タイ、シンガポール)
文献:古田元夫「ベトナムにとっての社会主義――「社会主義の道」の堅持の意味するもの」『国際政治』99 (1992): p69-85.
12.人々をつなぐ宗教(タイ、インドネシア)
文献:速水洋子「仏塔建立と聖者のカリスマ――タイ・ミャンマー国境域における宗教運動」『東南アジア研究』53(1)(2015): 68-99.

[21世紀の課題]
13.発展の陰の貧困と少数民族(フィリピン、タイ)
中西徹「現代経済の「錬金術」と有機農業 : フィリピンにおける「食」と「貧困」」『東洋文化』100 (2020): 125-74.

(元のスケジュール)

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4月16日 茶話会パート2

茶話会パート2
2020年4月16日木曜日、8:30~

1.前回の投票
多かった回答
(コロナ禍によって世界は変わりますか?)
・1~2年の間は、大きく変わる
・20年後には、大きく変わっているが、他の要因で変わっている
(コロナ禍はどのような影響を及ぼすと思いますか?)
・米中対立の激化と世界のブロック化
・レイシズム(人種差別)の悪化
・民主主義の後退と独裁の強化
少なかった回答
・世界中での統一された対応
・資本主義の終わり
=>ナショナリズムの強さ、資本主義の「自然化」

2.世界史における疫病
14世紀以前:はしか、ペスト、マラリア、天然痘

良く知られた事例
A(1347年)ヨーロッパにおけるペストの蔓延
B(1492年以降)ヨーロッパ人による中南米の侵出と天然痘やマラリアの蔓延
C(1918年)第一次世界大戦末期のインフルエンザ
D(1980年代)エイズ

二つの概念
「微生物によるミクロ寄生としての感染症」
「軍事的侵略や経済的収奪も人間によるマクロ寄生」

基本文献:マクニール『疫病と世界史』上下、中公文庫

3.A(1347年)ヨーロッパにおけるペストの蔓延について
・モンゴル帝国(1279年~1350年が絶頂期)
・交易の活性化*
・ヨーロッパの総人口の1/3が死亡
・ノミ、ネズミ、クマネズミが感染経路、その後くしゃみ等(?)
・1665年のロンドン・ペスト大流行が北西ヨーロッパにおける最後の流行
【問い】なぜ収まったか? A建築の変化(わらぶきの屋根から瓦葺きの屋根へ) B異なる疾病の連鎖(ハンセン病→ペスト→結核)
・20世紀前半の抗生物質の発見

*文献:アブー=ルゴド, ジャネット・L.『ヨーロッパ覇権以前―もうひとつの世界システム』上下. 岩波書店, 2014.

4.C(1918年)第一次世界大戦末期のインフルエンザ
・6億人が感染、2000万人以上が死亡
・1700万人がインドで死亡
クロスビー著、西村秀一訳『史上最悪のインフルエンザ』みすず書房、2020
出版社へのリンク
日本語版への序文
新版への序

第1部 スパニッシュ・インフルエンザ序論
第1章 大いなる影

第2部 スパニッシュ・インフルエンザ第一波――1918年春・夏
第2章 インフルエンザウイルスの進撃
第3章 3か所同時感染爆発──アフリカ、ヨーロッパ、そしてアメリカ

第3部 第二波および第三波
第4章 注目しはじめたアメリカ
第5章 スパニッシュ・インフルエンザ、合衆国全土を席巻
第6章 フィラデルフィア
第7章 サンフランシスコ
第8章 洋上のインフルエンザ──フランス航路
第9章 米軍ヨーロッパ遠征軍とインフルエンザ
第10章 パリ講和会議とインフルエンザ

第4部 測定、研究、結論、そして混乱
第11章 統計、定義、憶測
第12章 サモアとアラスカ
第13章 研究、フラストレーション、ウイルスの分離
第14章 1918年のインフルエンザのゆくえ

第5部 結び
第11章 人の記憶というもの──その奇妙さについて

【問い】なぜウィルスは怖いのか?

5.その他の考察
(進化生物学)
ライアン, フランク, 夏目大訳『破壊する創造者: ウイルスがヒトを進化させた』早川書房, 2011.

(疾病と世界史)
・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』上下、草思社文庫、2012
・クロスビー『ヨーロッパの帝国主義』ちくま学芸文庫、2017
・Davis, Mike. Late Victorian Holocausts: El Niño Famines and the Making of the Third World. London: Verso, 2017.

(文学)
・ボッカッチョ著、平川祐弘訳『デカメロン』上中下、河出文庫、2017(A)
・カミュ著、宮崎嶺雄訳『ペスト』新潮文庫、1969
・Porter, Katherine Anne. Pale horse, pale rider: three short novels. San Diego : Harcourt Brace Jovanovich, [1990], c1939.

【問い】コロナウィルスに関する自分の物語を語る
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4月23日  第3回 ガイダンス、東南アジア世界の概要

0.ガイダンス

1.古田元夫「地域区分論」
(1)方法としての地域

地域=研究対象
その当たり前すぎる例としての、国民国家
「日本人の主体的な世界史認識を獲得する方法」
竹内好 先進=日本、後進=中国、の脱却
上原専禄 13の地域世界*
遠山茂樹 資本主義にさらされるなかでアジア共通の経験
「社会主義アジア先進論」
板垣雄三の「n地域」論

*世界を文化・文明的に地域に分けて考えると言うのは、最近再注目されてきている視点。
鈴木董『文字と組織の世界史 : 新しい「比較文明史」のスケッチ』山川出版社, 2018.

①国民国家を越えて
「一国史―地域史―世界史」への反省=歴史学研究会
「朝鮮民族」「日本民族」・・・に対する塚本学の批判

②モノ、ヒト、情報の流れの国際化、地域経済圏んの勃興
濱下武志の「域圏」
国家―国際 ではなく 国家―域圏―国際
「空間の意識化」

③フィールド・ワークの可能性
「資料の舞台を実際に歩き、歴史的景観を復元することによって、文献資料では見落とされてきた新しい情報を入手することができる。」
桜井由躬雄「歩きながら考える歴史学」

④「ヨーロッパ近代=模範」の否定
斉藤孝「人間の営みと歴史の展開の多様性を多様なまま捉え」
高谷好一「世界単位」

=>「「方法としての地域」における地域とは、基本的には、歴史家の課題意識に応じて設定される、可変的で多様な性格を有するものである。」

(2) つくられる地域―東南アジア
東南アジア=「歴史上、単一の文明によって統合された経験をもたない地域であった」
大東亜共栄圏=共産主義の侵出の阻止=日本の復興に大きな役割を果たす地域
ASEAN→日本の東南アジア研究
東南アジア10カ国(11カ国)
アジア二大文明のはざま「インド化」「中国化」に対する、「東南アジアの側の主体性」
「民族解放史観」「国民国家史観」を越えて。
生態環境への注目
・人口密度の低さ
・国際的な交易
高谷好一「他形」としての東南アジア
石井米雄と桜井由躬雄:自給的小農民が形成する農業空間と、その上に展開する国際的商業空間
=>作られた東南アジアという地域

(3) こわされるちいき
「ぐじゃぐじゃ」な地域⇔燦然と輝く世界文明
インド「海洋国家性」→西アジア、中央アジア、東南アジアとの関連という三つの方向への分解
中国古代史→東アジア、北アジア、西域、西南アジアなど「外に開かれた柔軟な構造をもった中華」
ヨーロッパ史にとっての「イスラームの衝撃」
川勝平太:産業革命=「アジアからの衝撃」
帝国=ボーダーレス、の再評価
茂木敏夫の中華帝国論
「多様な中華」、「独自の歴史世界としての東南アジア」という逆転

歴史家の概念操作?
「それは、歴史研究である以上、ある「地域」概念の有効性を説くためには、その歴史的実在性――客観的に抽出されるような関係性であれ、ある歴史段階において存在した主観的意識としてであれ――を提示しなければならないからである。」

事例としてのベトナム
「小中華帝国」
「両属」→植民地化
植民地化と阮朝の方向性の同一
複数地域の重複性と重層性

【問い】「客観的に抽出されるような関係性」(関係性)と「ある歴史段階において存在した主観的意識」(意識)とは何を指すのか?

【音楽】Sitsiritsit Alibanbang

2.領域の誕生へ
・マンダラ的世界
王、カリスマ、その王への忠誠
白石隆『海の帝国―アジアをどう考えるか』中公新書、2000

・建国神話
外来の神話・伝統の活用
例 アンコール文明の建国神話

伊東照司『アンコールワットの彫刻』 雄山閣, 2009.
弘末雅士『東南アジアの建国神話』山川出版社, 2003.

・宗教の三重構造
表層=上座部仏教、イスラーム教、カトリック
中層=インド化
深層=精霊信仰

・ヨーロッパ人の到来と植民地
ポルトガル人:
オランダ人:
イギリス人:
フランス人:
アメリカ人:

白地図:画像

【問い】誰が東南アジアの国境を定めたのか?国境を定めることが持つ心理的な影響とは何か?

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4月30日 第4回 抵抗運動と宗教(ジャワ島、ルソン島、ベトナム)

(前回の続き)
・ヨーロッパ人の到来と植民地

1. 池端雪浦「フィリピンにおける植民地支配とカトリシズム」
(1)植民地支配の正統性
16世紀後半:スペインの侵略
キリスト教の布教=支配の正当化、しかし二つの問題
A「世俗の政治的支配権」を伴うのか
Bヨーロッパ人の布教の残酷さ
合法的根拠「住民が慎重かつ自由に考慮してそれ[布教]に同意を与えたという事実」
貢税徴収の正当性をめぐる論争
第一回マニラ宗教会議の議論
<超自然的統治>→フィリピンは悪魔の教えで混乱→国王の君主圏の行使→伝道事業

(文献)カサス, ラス、染田秀藤訳『インディアスの破壊についての簡潔な報告.』岩波書店, 2013.

(2)教会による統治
国王の聖職者に関する推薦権→国王が「海外植民地における実質上の長」
(双頭性?)
・マニラ政庁(総督)―州(州長官)―プエブロ(町)(町長)
・マニラ大司教区(大司教)―直轄区と司教区(司教)-聖堂区(主任司祭)
通常はプエブロ=聖教区=貢税や強制労働の単位
プエブロの統治=原住民官吏、主任司祭=プエブロ政府の監督、主任司祭>原住民官吏
住民の管理=納税通知書(cédula)
主任司祭=町評議会の顧問、各種委員長、検閲官、警察・兵役の監督官、視学=独占的権限

(3)プエブロ社会の秩序と統合
そもそもの集団=バランガイという血縁集団
プエブロ=ポプラシオーン+バランガイ(バリオ、シティオ)
ポプラシオーンの中心のプラザ(広場)=教会、町役場
カババヤン意識
スペイン人司祭―プリンシパリーア(現地人)―現地人
プリンシパリーア
・通訳、人頭税の徴収、強制労働の徴発、(もっとも重要)カトリシズムの普及
・スペイン語・カトリックの教義の学習、教義書暗唱の指導、ミサの手伝い
・「契約書」(Tadhana)による名誉と拘束
・ドン(Don)の称号

(4)カトリシズムの逆説的機能
18世紀初頭から現地人による体系的理解
精霊の世界における死の偶然性→カトリシズムにおける来世・天国・死の新たな意味付け
祈祷手引書・「美しい死」・パション
現地化→マリア信仰の強さ

(5)兄弟会の抵抗運動
聖ヨセフ兄弟会:1832年創立、南タガログ地方に数千人の会員
町当局によって襲撃(40年)
軍隊と戦闘。500人死亡、200人処刑(41年)
理由:
①教会や修道会の指導を受けない
②メスティーソ(華人・スペイン人との混血者)を排除
③死後天国に行くことの条件として、教会への寄付と免責ではなく、祈りに徹すること。→貧乏人の救済。パションの詠唱やバナハオ山での苦行。
弾圧への抵抗:弾圧こそが受難であり試練、試練を乗り越えることにより天国に行ける。
19世紀末の革命運動への連鎖

(文献)イレート, レイナルド・C.、清水展、永野善子監訳 『キリスト受難詩と革命 1840~1910年のフィリピン民衆運動』 法政大学出版局, 2005.
(文献)池端雪浦『フィリピン革命とカトリシズム』勁草書房, 1987.

【問い】池端の言う「逆説的機能」とは何か?「逆説的機能」は、カトリック以外でもありうるか?

2.反帝国の宗教(千年王国)運動の諸相
(1)ルソン島
第一フェーズ:ホセ・リサール等のプロパガンダ運動、リガ・フィリピーナ、ボニファシオとカティプーナン、リサールの処刑
第二フェーズ:カティプーナンの戦い、地方勢力の勃興、テヘロス会議とボニファシオ(カティプーナンの指導者)の処刑、アギナルドによる地方勢力の攻勢、ビアクナバト憲法、アギナルドの香港行き
第三フェーズ:革命の再開、米西戦争の波及と米軍の上陸、マニラの共同管理、マロロス憲法、比米戦争の勃発、ゲリラ戦、平定宣言(1902)、タガログ共和国の陥落(1906)

(2)ベトナム
東アジア国際体系と「南国意識」
「脱中国化のための中国化」と「脱中国化のための文明化」(古田、15)
黎朝初期(レ朝、15世紀):儒教と科挙官僚制度による集権的国家体制
(以下 桜井)
科挙と郷紳
フエ条約(1883、1884)→清仏戦争→天津協約(1885年6月)→勤王運動(1885年7月から)
第一フェーズ:フエ宮殿の陥落(フエ事件)、ハムギ帝の都落ち、檄文の発布、対仏抵抗の発生
檄文の内容[中国の故事にならう](PDF)
抵抗の主体:①ハムギ宮廷官人、②地方官吏、③回休官吏、④村落有力者
圧倒的な武力の差、パトロール方式から駐屯法式へのフランス軍の転換、村落の降伏→沈静化
第二フェーズ:「匪賊」の反乱、フエ王朝ではなく中国の年号の使用
第三フェーズ:ファン・ボイチャウの東遊運動

(文献)古田元夫『ベトナムの世界史 : 中華世界から東南アジア世界へ 増補新装版』東京大学出版会, 2015.
(文献)桜井由躬雄「ベトナムの勤王運動」池端雪浦他編『 植民地抵抗運動とナショナリズムの展開 岩波講座東南アジア史  第7巻』岩波書店, 2002.

【音楽】ガムラン Srimpi Sagapati

(3)ジャワ島
前史:マジャパヒト王国(1293~1527?)ヒンドゥー教の王国
デマック王国等の盛衰(1527~)、ジャワ最古のモスク、イスラーム教王国
オランダ勢力のマタラム王国への関与(17世紀後半)
第一フェーズ:植民地統治の効率性を求め、オランダ植民地主義、ジャワ貴族の仲介を廃止。
ディポヌゴロ:スルタン王家を去り、王家の守護神と交信したのち、「正義王」を名乗る。理想世を説く。
5年間にわたるオランダとの戦争。→ディポヌゴロの処刑
第二フェーズ:ディポヌゴロ復活のうわさ→遍歴中のジャワ人やジョクジャカルタの宗教家による新たな抵抗→弾圧→植民地財政の悪化
強制栽培制度の導入とジャワ人支配者の再導入→村落組織の強化+首長の権限強化→蓄財→首長家族のメッカ巡礼
第三フェーズ:
A農民指導者の運動、1880年代のサミン運動。理想世を説き、納税や労働義務を拒否→弾圧
Bアチェ王国(スマトラ島北部)、メッカ巡礼者が多数、タレカット(イスラーム神秘主義教団)の勃興やイスラーム寄宿塾の普及、反オランダ活動、バンテン王国の反乱(法学者が中心)
オランダはイスラームを懐柔し容認する必要に迫られる。→「イスラーム同盟」の誕生

(文献)弘末雅士「インドネシアの「聖戦」」池端雪浦『岩波講座 東南アジア史7 植民地抵抗運動とナショナリズムの展開』岩波書店, 2002.

(最近のイスラームとインドネシア・ナショナリズムの関係についての研究)
山口元樹『インドネシアのイスラーム改革主義運動 : アラブ人コミュニティの教育活動と社会統合』慶應義塾大学出版会, 2018.

(インドネシアの思想史)
土屋健治『インドネシア: 思想の系譜』 勁草書房 1994.

(やや古いがインドネシア・ナショナリズム論の名著)
永積昭『インドネシア民族意識の形成』東京大学出版会, 1980.

【問い】ルソン島、ベトナム、ジャワ島の宗教と抵抗の関係はどのようにまとめられるか?
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5月7日 5.二つの上座仏教国家(タイ、ビルマ)

1.前回のやり残し分(ベトナム)

【音楽】ベトナムの管楽器タン・バウ 画像

2. 石井米雄「上座仏教の構造」『タイ仏教入門』めこん, 1991.(ITC-LMS)
(1) 神を立てない宗教
教義を論じない。
「神を立てる宗教」→創造主、救済者
「神を立てない宗教」→人間の業、自己救済
「プラチャオ」としての神→プラーナ神話の「おとぎの国の住人」

(2)苦と解脱の論理
「比丘たち、とうとい真実としての苦の消滅に進む道(道諦)とはこれである。つまり八項目から成るとうとい道、すなわち、正しい見解、正しい思考、正しい言語、正しい行為、正しい暮らしぶり、正しい努力、正しい心くばり、正しい精神統一」
毒矢の話→宇宙論についての問いを拒否。「記述することも、説明することもできないもの」→「すぐれて実践的であり、問題解決的である」
「苦」 dukha 「すべてのものは苦である」。四つの部分「病気」「病気の原因」「病気の不在」「くすり」
「無常」「無知」→「現実のあるがままの姿を知らなければならない。」「「知vijja」によって苦よりの解脱は達成されるのだ。」
「強者の論理」:「身心の調整」「精神統一」「高度の知恵」→「完治」の獲得、「アラハンこそは、上座仏教のめざす理想の人格である。」
小乗仏教:大乗仏教運動による独善性への批判、インドではなくなった。東南アジア大陸部では上座仏教、すなわち「長老の教え」として信仰の対象に。「エリート」と「マス」の宗教。

(3)信仰体系の二重性
凡夫:「無知」からくる苦しみ。しかし「知」を得るにも忙しすぎる。「世間とのかかわりを断つわけにもいかず」
出家道:「修行の専門職」「「在家者」の喜捨に依存」「「出家修行者」はパーリ語で、ビク(bhikkhu)と呼ばれている。」「食物を乞う者」
・「髪の毛をそり落とし、黄色い衣をまとう。」
・サンガという集団に帰属
・「日夜、ひたすら「八正道」を実践する努力する尊敬すべき存在」極めて「特権的」「自己の救済のみに専念することを許されているのであるから。」
・出家者の宗教:「一様に黄衣をまとい、一様にパーリ語をそらんじている。」「教理の発展とてない」
・出家者=人口のごく一部。民衆もまた仏教徒。
出家者の仏教と民衆の仏教がどのように関係しているのかが課題。
出家者の宗教と民衆の宗教 ビクとサンガ

【問い】上座部仏教国において、「近代」とは何を指すか?また、どのような政策の追及によって植民地化を避けられるか。
(回答)
・キリスト教的理性に抗する、上座部仏教にもとづいた理性の主張。
・エリート・マス双方の立場を保証→サンガの制度化と国家管理化
・キリスト教文化への理解。

3.タイ:近代との出会い
(1)キリスト教
・ドイツ人、イギリス人、アメリカ人の宣教師-病気の治癒、医療品の配布→キリスト教徒の増加
・ラーマ四世モンクット王(在位1851-1868):西洋の知識への関心と習得→フランス人宣教師パレゴア神父へのパーリ語教育とカトリック教義の学習
・ビクとしてのモンクット王:20歳にして出家、サンガにおける天国地獄・迷信俗信への反発、パーリ語の学習、仏典への造詣の深さ
・キリスト教徒との論争、上座部仏教=「明快な、道理にかなった賞賛すべき宗教」
・「タマユット派」仏法の忠実な信仰を創設、注釈書500冊の排除、パーリ語・シンハラ語の原典と比較し原典校訂、パーリ語研究の中心的機関としてのボーウォンニエート寺
・西洋の合理主義思想に対する思想としての、上座部仏教
・モンクットいわく「まことのビクは、自己自身の救済を確信するだけであっては不十分である。すべからくその知識と権威とを同胞の救いのために用いることをみずからの義務として課すべきである。」

(2)政治改革
・ラーマ五世チュラロンコン王(在位1868-)の「チャクリ―」改革→地方行政改革、州郡の整備、徴税制度の改革
・1902年サンガ統治法:①出家者は本籍の寺院を持たなければならない。②全国を一定の法政管区に整備の前提、③国家の法のもとにサンガを置く
・1932年立憲クーデター
・1941年新サンガ統治法:60条からなり、三権分立に対応。
サンガ議会:タマユット派とその他の伯仲(ビク数は、1対20)
法臣会議:10名以下の法臣、法政、教育、布教、建設の局を置いた。
司法府:ヴィナヤ(サンガの自治規則)に基づく裁判
・その後、サンカラート(法王)の人事をめぐり、タマユット派とその他の派閥が対立
・軍事独裁者サリットの合理主義→国家開発の重点化→1962年サンガ法へ

(4)その他の改革
(ラーマ四世)
・一夫多妻制の廃止
・タート(隷属身分)の廃止(日本の身分制廃止(1871年解放令)、朝鮮における奴婢の改廃(1894年甲午改革))
・国勢調査の実施
・欧米留学
(ラーマ五世)
・中央集権制の確立
・教育制度の近代化(公教育)
・外国人専門家の採用(ただし、異なる国から)
・東南アジアやインドといった植民地の視察

【文化作品】「王様と私」(ユル・ブリンナー主演)家庭教師アンナ・レオノーウェンズがモンクット王を説得し、タート妻を解放させる話。モンクット王を滑稽に描いている。タイでは長らく上映禁止。ただ、タート妻解放の文脈が、「アンクル・トムの小屋」というアメリカ奴隷制を告発する小説を基にしている、という点が興味深い。その後、ジョディ・フォースター主演の『アンナと王様』としてリメイク。また、渡辺謙がブロードウェイの上演ではモンクット役で好評をはくす。

3.ミャンマー(ビルマ)の近代
ビルマ地図
(1)ミャンマーという社会と国家
・9世紀:エーヤワディー川流域にビルマ人が出現
・伝統王朝:
ピュー人(1~5世紀以降)、モン人(6世紀ごろ?)モン王国
→バガン王国(ビルマ人)
→シャン人(北部)/インワ朝(ビルマ人)/ハンターワディ―朝(モン人、ペグ―)
→タウングー朝
→コンバウン朝
・ミャンマー・ナショナリズムで称賛される三人の王:
アノーヤター王(在位1044‐77):バガン朝の初代王、おびただしい数の寺院や仏塔を建設、仏教国の基礎作り
バインナウン王(1551-81):タウングー王国の三代王、ラカイン州を除きビルマ全土を統一
アラウンパヤー王(1752-60):コンバウン朝初代王、ミャンマー全土の勢力下においた、慣習法を法典化。

(2)コンバウン朝とイギリス
・イギリス東インド会社の使節に対する無対応(~1824年)
・1824年:7代王、アラカン地方の領土争いでインド会社と戦争(第一次英緬戦争)→英パガン占領→ヤンダボー条約:アラカンとテナセリムを割譲、アッサムとマニプールへの宗主権を喪失させる
・8代王、ヤンダボー条約を遵守せず。
・1851年:イギリス人船長を殺人罪で罰金刑に。→イギリスが侵略(第二次英緬戦争)→ピグー地方の割譲(下ビルマ全体が英領に)→ラングーン(ヤンゴン)を首都とした英領ビルマ州の形成・コンバウン朝の内陸国化
・和平派の第10代ミンドン王が第9代の主戦派を倒した。その後の近代化政策:
精米工場等の工業化の促進
外国人技師の登用
国費留学生制度の設立
租税制度の改革
・ミンドン王(1853-78)の宗教政策
2400名を動員した三蔵経典の総合的点検
シュエダゴン・パゴダへの奉納
・ミンドン王の病死→第11代王ティーボーの改革
内閣制度の整備
・保守派の巻き返し→改革の失敗→イギリスを牽制するためにフランスへの接近→イギリスによる再侵略と占領→コンバウン朝の終わり(第三次英緬戦争 1885年)

【問い】なぜタイは植民地化をまぬがれ、ミャンマーは植民地化されたのか。また、植民地化の影響をどのように考えるか。
(回答)
・ミャンマーは、イギリス植民地への近さと19世紀初頭には帝国とぶつかってしまったこと。タイには、緩衝国になり得るという地政学的位置があった。
・ミャンマーは、支配されてから近代的改革を行ったから。
・タイの方が、ミャンマーよりも、素早く効率的に近代化改革に成功した。

参考文献:
石井米雄『タイ仏教入門』 めこん 1991.
石井米雄、飯島明子『もうひとつの「王様と私」』めこん, 2015.
奥平竜二「上座仏教国家の成立と崩壊」阿曽村邦昭、奥平竜二『ミャンマー : 国家と民族』古今書院, 2016.
岩城高広「ミャンマーの三大王と東南アジアの歴史」阿曽村邦昭、奥平竜二『ミャンマー : 国家と民族』
根本敬『物語ビルマの歴史 : 王朝時代から現代まで』中央公論新社, 2014.
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5月14日 6.植民地支配の経済学(華人)

1.課題文献 酒井忠夫「近現代シンガポール・マレーシア地域における華人の社会文化と文化摩擦」
(1)ババ層の発生
「華僑」―「中国本土郷土を離れて、外地外国に一時的僑居した中国人」清末からの使用
「ババ」-「海外にでた華人(男性)は、現地である程度の生活の基礎を固めると、現地で現地女と結婚して第二の家庭を営む風習があった。」―男性の子供(孫、ひ孫は?)、原義はトルコ語(なぜトルコ語?)。
「ニョニャ」―同上、女性の子供(孫、ひ孫は?)
総じて尊称。
「蕃坊」=中国港市におけるアラブ人の居住区、
マレー半島の地図
マラッカ:カンポン=ヒナ、欧亜混血のポルトガル人→土着化した華人共同体→19世紀の新着の華人、幇(会館)共同体
ボルネオ:華人の集団僑居(どういう意味?)アラブ人との混血→「蘭芳大総制」。可能にした要因、①土着集団との親密協同、②指導者層間の婚姻、③義兄弟の結盟関係(特に客家)、④外来の侵入者からの防衛
トレンガヌ:「唐人坡」、高、劉、黄、林の四姓、ダトゥ化(イスラム的位階)、カピタンの称号も。

(2)開拓華人集団の共同体からシンガポールの会頭の変遷まで
開発華人手段:ペナンにおける三名の語り(10)→「張が開拓者・開祖的神として「大伯公」」に→「申張公理」という法?、ダトゥ化。
18世紀、タイ人に抗する華人(13)、華・マレー・英の三か国語を習得するババも、クダーの
クランタンの華人海賊も(客家)。
19世紀ババ指導者層の発展:人数の増加、「新客」の流入、「大衆爺」と会館、ババの階層化(上層華人ババ、没落ババ)。
マラッカにおけるカンポン=ヒナ
オランダ時代(1641-1795):7区それぞれの里長集団→経済的・宗教的機能を担当する薫事(とうじ)→薫事からカピタンの選出(17)
イギリス時代(1824年以降):ババ・カピタン系列+新客華人福建会館→捐金(えんきん)→「観」=福建の紳富層の称号
19世紀末~20世紀初頭 ペナン・マラッカ・シンガポールにおける「新客」の急増→多くの会館、秘密結社の増加(会館と秘密結社の関係は?)
猪仔貿易「伝統的な中国の奸商支配下の無頼・棍徒(こんと)の組織」による人身売買。
郷土幇=会館(?)(22)

(3)「土生化」(現地化)と国民化
シンガポールにおける華人の土地所有(1830)(23)
マラッカ・ペナン・シンガポールにおける「イギリス・ヨーロッパの政治・文化との摩擦・協調によるババ化の方向が促進された。」→「新客」が「買弁的」と揶揄。
スルタン体制との関係での土着化。
葉亜来のラジャとの連合→カピタンの職→セランゴールの錫鉱山開発→セランゴール州理事会議員
葉亜来の協力者、客家が中心。
土生華人の増加→「新客」華人の増加というよりも、出産によるもの。
1900年「海峡植民地土生公会」の設立。Ku Hung Ming辜鴻銘、Lim Boon Keng林文慶、Tan Cheng Lock陳禎祿らが有名「マレー語や英語は話すが、華語を話せず、マレー服を着、マレー・中国折衷のNyonya Dishesを食べる。」(35)「五教混一」的宗教意識→マレー人との摩擦を生まず
「マレー人社会と閩系を中心とする会館華僑社会との間の文化摩擦よりも、18世紀依頼のババ層及び英植民地政策下のババ層に対する19世紀より20世紀初の会館華僑層との間の生活摩擦・文化摩擦の方が強いように考えられる。」
Tan Cheng Lockの土生的マレー国民的華人文化(38)。明治国家日本の六諭に似ている。

2.文化接触としての論点(『東南アジア華人の華人文化と文化摩擦』から)
(1)時代区分 Wang Gungwu王賡武によると「①19世紀以前の閩粤人流寓時代、②19世紀の華人時代、③1903年以降の華僑時代、④1955年以後の新華人時代」
→①のグループ=ババ化、しかし②における「新客」の流入と華人文化の復興、地縁的団体組織である「会館」と血縁的結合組織である「宗祠」というアイデンティティの中心。

(2)19世紀、幇の運営と幇同士の衝突。
会党:マラヤ華人会党の系譜は、中国本土に発達した天地会の流れをひくもの。「天地会は清代の前半期に反清抵抗運動のさかんであった台湾・福建地域で誕生し、華南各地に広まった華南型の会党で、政治的には「反清復明」を掲げ、清朝打倒の革命運動にも重要な役割を果たした。」
幇:営利事業のために会党に関係に依存した。蓄財の方法「必ず政治権力(植民地政府、マレー人首長等)に頼るとともに、会党の擁護を必要とした」会党の協議・規律が植民地政府の法よりも重要。会員の相互扶助の徹底。→他の幇や会党に対しては排他的・敵対的。
衝突の要因:①仕事の奪い合い、②伝統的敵対意識、③女性の奪い合い。
1867年のペナンの抗争:義興党は白旗党(非華人)と、権徳会は紅旗党(非華人)と連合。ペナン人口36,000人の内、35,500人が参加。

(3)華人の僑民設立学校
植民地教育が進んでいるところでより盛んに。シンガポール34、ペナン10、バンドン32、長崎1、横浜3、朝鮮4、サンフランシスコ5(民国2年(1913年)刊行「領事経理華僑学務規定」からの資料?)

【問い】東アジア(例えば日本)やアメリカへの華人移民と比べると、東南アジア華人の特徴として何がありそうか?

3.19世紀末までの各国の華人
(1)フィリピン:
5つのカテゴリー:①スペイン人、②スペイン系メスティーソ(混血者)、③中国系メスティーソ、④原住民、⑤中国人。異なる納税義務。①なし、②7レアル、③29レアル、④16.5レアル、⑤10レアル。キリスト教徒でないと官職につけない。
1884年の改革の結果、三つのカテゴリー、①本国生まれのスペイン人、②フィリピン人、③中国人。スペイン系メスティーソ、中国系メスティーソ、原住民の税率が同じ。
中国人メスティーソ:特殊な種類の中国人(キリスト教徒)→特殊な種類のフィリピン人へ(文化的、職業的、居住地による)。

【音楽】竹枝詞「回郷偶書」 現代日本語訳

(2)マラヤ
人口統計:①ムラユ(マレー)人、②中国人、③インド人、その他という区分
1911年~40年:①1.6培、②2.6培、③2.8培
グラフ
「複合社会」「ひとつの政治単位のなかで隣り合わせた生活をしていながら、お互いに混じり合うことのない二つないしそれ以上の要素または社会秩序を内包するような社会」
ババ、ニョニャの他に、ユーラシアン(欧亜混血人)、プラナカン(マラヤ生まれの非マレー人、ムラユ語を常用、ムラユの慣習に従う人々)
ムラユ人=河口付近のイスラーム王国に住む、スルタンの支配下で漁業・交易、自給的稲作農業、伝統的宗教教育
錫鉱山:中国人資本とムラユ人資本が、ヨーロッパ資本によって駆逐される。
ゴム園:20世紀初頭に耕作面積拡大、ヨーロッパ人が資本投下し、プランテーションを拡大。インド人(62%)、中国人(25%)、ムラユ人(13%)
マレー人保留地法(1913年):ムラユ人の土地を非ムラユ人に転売禁止。
中国人の流入:1875年クーリー貿易(契約移民)の廃止→1893年清朝が出国禁止令廃止→自由移民としてマラヤに流入→錫鉱山の72%の労働力が華人→錫鉱山の機械化・合理化→1929年大恐慌→失職し、都市に流入→都市住民の男性化→からゆきさんと猪花
華人労働者とマラヤ共産党

(3)大陸部
メコンデルタ:華人の米穀承認→島嶼部・フィリピンに輸出
(タイ)
長い間の流入:タイ女性との結婚による混血化→タイ人化
タイにおける『三国志』→数百のバージョン
近代国家=租税国家としてのタイ:労役・物納の廃止→人頭税男性1人6バーツ。当初は中国人は免除、その後、4バーツ、1909年6バーツ→中国人商店のストライキ、タイ人と同等。
辛亥革命前後の中国人ナショナリズム:1908年孫文が訪問、同盟会の組織、中華学校、中国の新聞の開始、共和主義の称揚。
タイ・ナショナリズムや絶対王政のタイ社会と矛盾。
ラーマ六世王ワチラーウットによる「東洋のユダヤ人」という華人批判
・タイで得た利益を本国に持ち帰ってしまいタイに利益を与えない華僑/タイ語を話すがタイ国への忠誠心が弱い華人、という二種類の華人に対する批判。
→エミー・チュアにみる東南アジア認識:より優れた華人→現地人エリートともに腐敗→大衆の怨嗟の対象→反華人暴動を誘発。のちに、アメリカにおけるアジア系の優秀さを強調。

【問い】華人を文化的カテゴリーとみるべきか、それともセンサス上、税制上のカテゴリーとみるべきか。どちらとして認識したほうが、チュアの見解に反論できるか。それとも、チュアの見解は肯定すべきか。

(参考文献)
アンダーソン, ベネディクト著, 糟谷啓介, イ・ヨンスク訳『比較の亡霊 : ナショナリズム・東南アジア・世界』 作品社 2005.
池端雪浦『東南アジア史 2 島嶼部』山川出版社, 1999.
石井米雄,  桜井由躬雄『東南アジア史 1 大陸部』山川出版社, 1999.
華僑華人の事典編集委員会『華僑華人の事典』丸善出版, 2017.
高嘉謙(張佳能、田村容子訳)「赤道線上の風土――新馬華人の粤謳と竹枝詞について」(『中国二一』五〇)
篠崎香織『プラナカンの誕生 : 海峡植民地ペナンの華人と政治参加]九州大学出版会, 2017.
スキナー, ウィリアム, 山本一 訳『東南アジアの華僑社会 : タイにおける進出・適応の歴史』東洋書店, 1988.
谷垣真理子,  塩出浩和, 容應萸『変容する華南と華人ネットワークの現在』風響社, 2014.
チュア, エミー著, 久保恵美子訳『富の独裁者――驕る経済の覇者:飢える民族の反乱』光文社, 2003.
ワレン, ジェームズ著、早瀬晋三監訳『阿子とからゆきさん』法政大学出版局, 2015.
Wickberg, Edgar. The Chinese in Philippine Life, 1850-1898.  New Haven,: Yale University Press, 1965.
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7.植民地統治における民族政策(マラヤ、フィリピン、ミャンマー)

1.文献:左右田直規「植民地教育とマレー民族意識の形成――戦前期の英領マラヤにおける師範学校教育に関する一考察――」『東南アジア――歴史と文化――』34(2005).
・師範学校教育がどのように「マレー民族」を作り出したか。
・卒業生には左派のみならず、右派のUMNOの活動家も。
・民族=意識の問題(アンダーソン)

(1)「望ましいマレー人」
Aマレー人教育の展開
・前近代クルアーン塾→ポンドック(イスラーム寄宿塾)、マドラサ(近代的宗教学校)
・マレー連邦州とマレー非連邦州(より高い自治) 地図
英領マラヤにおける人口構成の変化
・四つの学校:英語学校、マレー学校、華語学校、タミル学校
・1927年教育規定 8歳入学 5年間教育
・中等教育マレー語教育機関 師範学校、農業学校、工業学校
・マレー語教育:1821年のペナン・フリー・スクール 『アブドゥッラー物語』、1920年に46000人就学
・1922年にパラ州(セランゴール州との州境)タンジュン・マリムにスルタン・イドリス師範学校を設立
・女子教育の遅れ
B「望ましいマレー人」像
・マレー語を話す農民・漁民、イギリス思想教育への反対(1890年ペラ州理事官スウェッテナムの提言、『1920年マレー連邦州年次報告』)
・背景:①マレー人社会秩序の維持、②インドにおける英語教育の失敗、インド中間層の台頭、③マレー人による食糧生産、④マレー人伝統文化に対するロマンティシズム
・1917年『ウィンステッド報告』:①学校教育の合理化、統一教育、②地歴教育、③実技教育の重視、④師範学校設立

(2)スルタン・イドリス師範学校
A概要
・「現地語大学の卵」
・パブリックスクールというモデル:寄宿舎、英語学校マレーカレッジ
・タンジュン・マリム:①肥沃、②鉄道、河川、小さな町に近いこと、③英領マラヤの中央部
・1927年、16歳に達したマレー語小学校見習い教員
B教育内容
・「マレー世界」の教育、インドネシア人6500万人
・他のアジア民族運動についての教育
・実技教育によるマレー語教育の正当化
・連帯感
・イスラーム教育
C授業外での知識の獲得
・蘭領東インドの定期刊行物
・SITCの翻訳局:「マレー語学校シリーズ」、ヨーロッパ若年文学の翻訳
・イギリス人教員マレー主義者
・寄宿舎生活
・課外活動;とりわけスポーツ
・軍事教練やボランティア活動
・インドネシア国民党入党と秘密結社運動

(3)マレー民族意識の形成
・民族の再生産
・階層の再生産:庶民層の子孫からなるSITCと王族・貴族層の子弟を主体とするMCKK
・性差の再生産:「良妻賢母」
・植民地教育の換骨奪胎

(4)他の文献から
・インドネシア・ラヤとメラユ・ラヤ

【音楽】インドネシア・ラヤ

【問い】「望ましいマレー人」を目指すという教育は、現在において可能か?可能でないとすると、それはなぜか?逆に植民地社会において、この教育が可能になった要因とは何か?

2.フィリピン:学歴社会の成立
・独立が当初から想定されている。
・1916年までは民政地域と軍政地域(主にミンダナオ、山岳部ルソン)に分かれていたが、その後は民政地域に。
・植民地教育は基本的に民政地域。
・ミンダナオには、ルソン地方、ビザヤ地方からの入植。

(1)教育言語
・英語のみ、SITCのような学校は成立し得ない。
・科目としてもタガログ語を教え始めるのは1930年代後半
・初期教育官僚の考え方:①カシケ(農村のボス)とタオ(大衆)、②タオは無知で、フィリピンには「世論」がない、③タガログ語には見るべき文学がない、④英語はすでに世界のリンガフランカ、⑤タオに英語と簡単な算数を教えれば、小作農から小規模農民に変えられる。
・1920年代の指摘:①十分な数のアメリカ人教員を確保できず、フィリピン人が慣れない英語で教えている。②現地の知識が学校教育を介して継承されない、③3年程で中途退学してしまう生徒が多く、中途半端に英語を学んでも見に付かない。
・多言語社会の問題:1907年植民地議会から教育言語改革法案、20年代に複数提案、しかし、何語で教えるのかで統一できず(タガログ語かそれともそれぞれの地域で話されている言語か)

(2)学校の配置
・小学校低学年(バリオ)―小学校高学年(町)ー高校(州都)―大学・師範学校(マニラ)―アメリカ留学
・実業教育:小学校高学年から複数のコース、しかし、学術コースに人気が集中。
・実業教育の高い維持費とそれぞれに異なる学校(寮の有無、授業の長さ、他)

(3)市民教育
・アメリカの移民教育がモデル
・アメリカ市民性の普遍主義=デモクラシー
・ジュニア・レパブリック=学生自治運動=ジュニア・コモンウェルス

(4)歴史教育
・フィリピン革命の位置付け
・植民地化による産業上・市民上の「進歩」→フィリピン人の歴史家による論述
・カシキズム=フィリピンの遅れた伝統vs.英語を介した近代市民

(5)学歴社会
・小学校の中途退学者=英語能力が不十分→農民、都市のインフォーマルな労働者
・ホワイト・カラー職の頭打ち→高学歴者の失職→実業を生み出さない学歴社会批判
・全植民地的な政治エリート:①町長―州知事―植民地議会議員、②スペイン語を共通言語とし革命に関わった人々→英語堪能な植民地教育を受けた人々、弁護士資格を持つもの多数、③議員数の民族的な割り当て等は行わず。
・総督に権力が集中した政治システム→大統領に権力が集中した政治システム、革命の遺産が政治的意味を持った。ケソン大統領。
・アメリカと交渉し、アメリカに与えられた独立
・アメリカ人教員に対する不信:1930年学校ストライキ

【音楽】バヤン・コ

3.ビルマ:分割統治がもたらした問題
(1)統治体制
A概略
・「管区ビルマ」と「辺境地域」
・「管区ビルマ」:インド総督に任命されるビルマ州知事
・「辺境地域」:伝統的にビルマ王には服属しない少数民族。藩王の残存。
・「管区ビルマ」:管区―県―郡―市(町)―村(村落区)、村落レベルとの世襲実力者を官僚制度の末端に→行政国家・合理的国家
官僚組織
B複合社会
・宗教的中立政策
・食糧と燃料の補給地としての経済開発
・複合社会の形成 
C両頭制とビルマ統治法
・第一次世界大戦後のビルマ州知事と立法参事会(植民地議会、教育や農林行政など)とインド総督(外交・防衛・通貨)
・1935年のビルマ統治法:インドからの分離と議会権限の拡大、総督の下の首相内閣制

(2)ビルマ・ナショナリズム
A二つのナショナリズム
・底辺のナショナリズム:1930年代の「下ビルマ農民大叛乱」-小農民層の小作人化と都市労働者化
・中間層ナショナリズム
B中間層ナショナリズムの内実
・学歴:高校卒(中退)―ラングーン・カレッジ(一部)ー英国の大学(ごく僅か)
・アウンサンやウー・ヌはラングーン・カレッジ卒
・アウンサンの場合は、初等教育はビルマ語教育。(ビルマにおける教育制度の本格的研究はない。)
C政治的発展
・YMBA-仏教徒としての連帯
・ビルマ人団体総評議会―植民地議会におけるビルマ人権力の増長
・タキン党:①「主人」としてのビルマ人、②ミャンマーではなくバマー(ビルマ)、口語表現、③我らのビルマvs.彼らのビルマ、④協会という新しい考え方、⑤社会主義思想のとりこみ
→植民地議会内外での活動を活性化、ウルトラ・ナショナリズムへの契機

【問い】現在のマレーシア、フィリピン、ミャンマーにおける民族と政治の関係に、植民地期の(教育)政策はどのように結びついているか。

参照文献:
Soda, Naoki. Conceptualizing the Malay World : Colonialism and Pan-Malay Identity in Malaya. Kyoto: Kyoto University Press, 2020.
岡田泰平『「恩恵の論理」と植民地 : アメリカ植民地期フィリピンの教育とその遺制』法政大学出版局, 2014.
岡田泰平「植民地期タガログ語短編小説にみる教育と近代」永野善子編『 植民地近代性の国際比較 : アジア・アフリカ・ラテンアメリカの歴史経験』御茶の水書房, 2013.
根本敬『物語ビルマの歴史 : 王朝時代から現代まで』中央公論新社, 2014.
根本敬『アウン・サン : 封印された独立ビルマの夢』岩波書店 1996.
根本敬「ビルマのナショナリズム――中間層ナショナリスト・エリートたちの軌跡――」池端雪浦他編『植民地抵抗運動とナショナリズムの展開』岩波書店, 2002. 213‐40.