歴史I 東南アジア史概論

【概要】
本授業では、東南アジア史を古代から21世紀まで、包括的に理解することを目指します。
 簡単にこの地域の歴史を述べるにしても、以下のように煩雑です。東南アジアは、中国とインドの影響を受け続けた地域であり、大きくは大陸部と島嶼部に分けられます。15世紀~17世紀の「交易の時代」には商業的な交易が盛んになり、大陸部では影響領域がぼんやりと表れる近世国家が成立し始めます。島嶼部には港市国家が成立します。18世紀には大陸部ではビルマ人らしさ、ベトナム人らしさ、タイ人らしさを備えた国家が出来上がり、島嶼部ではオランダやスペインによる領域支配が徐々に確立していきます。また「華人の世紀」とも呼ばれ、華人が東南アジア各地に進出していきます。19世紀から20世紀にかけての近代では大陸部の民族国家がより統合されていくものの、西洋列強の領域支配も進んでいきます。また、島嶼部では、18世紀には終焉を迎えた東インド会社体制に代わり、オランダによるより直接的な侵略が強まります。その結果、19世紀/20世紀の世紀転換期には、東南アジア全域は、タイを除いて、西洋列強の植民地となり、その結果、国境が定められていきます。20世紀前半には、オランダ、イギリス、フランス、アメリカによる植民地支配体制がそれぞれに異なる植民地文化と抵抗の形に結びついていきます。1940年代の日本の侵略と敗北の中で、異なる条件の下で独立を果たしていきます。冷戦期には、資本主義と共産主義の間で、単純に二項には分けられない様々な国家体制へと展開します。
 何がこの地域の歴史を煩雑にするかというと、人々の移動や相互の影響、異なる西洋列強による支配、伝統的な統一王朝の有無など、民族や王朝の連続を中心とした歴史が極めて語りづらいことにあります。このような中で東南アジア史の語り方はおおむね二つです。一つ目は、人やモノの交流史として論じる方法で、二つ目は、現代を中心に論じ、それ以前は背景として説明する方法です。前者の場合、様々な小地域で起きる異なる動きを追うことはあまりにも多様であり、全体像を把握するのが難しいという問題が生じます。後者の場合、過度に社会科学的な方法に頼りすぎ、東南アジアの固有性は見えにくいという難点があります。これらのアプローチとは異なり、本授業では各時代の東南アジアが、全体として、どのような特徴を持つのかという点を理解するように努めます。

【キーワード】
東南アジア、古代、近世、近代、植民地主義、現代

【授業計画と文献】
★課題文献 ●授業で紹介した内容を記した文献
第1週 4月13日 ガイダンス、東南アジア世界の概要
★古田元夫「東南アジアの特徴」『東南アジアの歴史』放送大学教育振興会, 2018.
桜井由躬雄「東南アジアの原史――歴史圏の誕生」池端雪浦他編『講座東南アジア史 1巻』岩波書店, 2002.
[キーワード]東南アジア11カ国、ASEAN、「東南アジア」という地域区分の成り立ち、大陸部(山脈と大河)と島嶼部(火山と季節風)、三つの気候とだいたいの分布、民族の重層性、インドからの影響、三つの世界宗教、生活文化の内容、受動的ー国家の自立性・独自性―外部の文明の選択的受容という歴史の書かれ方

第2週 4月19日 (10世紀以前)東南アジア原史 【ヌガラ・マンダラ論再考】
★石井米雄、桜井由躬雄「東南アジア初期国家の形成」『東南アジア世界の形成. 《ビジュアル版》』講談社, 1985.
桃木至朗「劇場国家とマンダラ」『歴史世界としての東南アジア』世界史リブレット12. 山川出版社, 2003.
●クリフォード・ギアツ著、小泉潤二訳『ヌガラ : 19世紀バリの劇場国家』みすず書房, 1990.
[キーワード]ドンソン文化、ヌガラ(港市・駅市)とムアン(盆地国家)、ヴェトナムの初期国家、林邑と交趾、モンスーン、扶南、中国とインド、インド化、ギアーツの言うヌガラとデサ、劇場国家

第3週 4月26日 (10世紀~13世紀)古代【インド化、中国化、モノの移入】
★根本敬「古代の東南アジア」桐山昇,栗原浩英,根本敬『東南アジアの歴史: 人・物・文化の交流史 新版』有斐閣, 2019.
★栗原浩英「東南アジア史の中の「中国」」桐山昇,栗原浩英,根本敬『東南アジアの歴史: 人・物・文化の交流史 新版』有斐閣, 2019.
●松浦史明「仏教王ジャヤバルマン七世治下のアンコール朝」千葉敏之編『1187年 : 巨大信仰圏の出現』山川出版社, 2019.
●石澤良昭「アンコール=クメール時代」池端雪浦他編『東南アジア古代国家の成立と展開』岩波書店, 2001.
辛島昇「シュリーヴィジャヤ王国とチョーラ朝」石井米雄,辛島昇,和田久徳『東南アジア世界の歴史的位相』東京大学出版会, 1992.
[キーワード]セデスの言うインド化、パーリ化、ベトナム国家の特殊性、ベトナムの南進とチャンパ、ウィットフォーゲルの言う東洋的専制、バライ(ため池)、クメール様式の像とアンコール朝の影響範囲、王の道と施療院、グロリエの水利都市論

第4週 5月10日 (13世紀~15世紀)古代から近世【タイ人の世紀、上座仏教の伝播】
★飯島明子・石井米雄・伊東利勝「上座仏教世界」石井米雄,桜井由躬雄『東南アジア史 大陸部』(世界各国史5)山川出版社, 1999.
●ジェームズ・C・スコット『ゾミア―脱国家の世界史』みすず書房, 2013.
● 中央大学政策文化総合研究所、柿崎千代訳『タイの歴史 : タイ高校社会科教科書』明石書店, 2002.
石澤良昭 「総説 東南アジア古代国家の成立と展開」池端雪浦他編『講座東南アジア史 2巻』岩波書店, 2002-2003.
[キーワード]東南アジアの言語と民族、タイ人(タイ諸民族)とシャム人、ラーンナー、ラーンサーン、ビルマ人、スコータイ、パガン、タウングー朝、ゾミア、タイ国のナショナル・ヒストリー

第5週 5月17日 (15世紀~17世紀)近世【交易の時代】
★ 石井米雄 「総説 東南アジア近世の成立」池端雪浦他編『講座東南アジア史 3 巻』岩波書店, 2002-2003.
● Reid, Anthony. “Introduction: A Time and a Place” Southeast Asia in the Early Modern Era : Trade, Power, and Belief. Ithaca, N.Y.: Cornell University Press, 1993.
● 川北稔『ウォーラーステイン』講談社, 2001.
● 鈴木恒之「オランダ東インド会社の覇権」石井米雄他編『東南アジア近世の成立』岩波書店, 2001.
● 弘末雅士「開かれた港市」『東南アジアの港市世界 : 地域社会の形成と世界秩序』岩波書店, 2004.
[キーワード]ポルトガル人、オランダ人とオランダ東インド会社、スペイン人とフィリピン、ムラカ(マラッカ)、ジョホール王国、(新)マタラム王国、経典を伴う世界宗教、火器、銀、世界システム論(特にヘゲモニー国家)

第6週 5月24日 (18世紀~19世紀)近代への胎動【内外の変動と近代への歩み】
★坪井祐司「近世国家群の展開と再編(18~19世紀)」『東南アジアの歴史』放送大学教育振興会, 2018.
● 弘末雅士「開かれた港市」『東南アジアの港市世界 : 地域社会の形成と世界秩序』岩波書店, 2004.
● 黒田景子「マレー半島の華人港市国家」 池端雪浦他編 『講座東南アジア史 4巻』岩波書店, 2002-2003
岸本美緒「東アジア・東南アジア伝統社会の形成」『岩波講座世界歴史―東アジア・東南アジア伝統社会の形成―13巻』岩波書店, 1999.
[キーワード]西洋列強の進出・侵出、ジャワの場合、フィリピンの場合、ビルマ人・シャム人・ベトナムによる領域支配、華人の世紀、トンブリー朝とラタナコーシン朝、ソンクラー、自由貿易、ブギス人、ラッフルズとシンガポール

第7週 5月31日 (18世紀~19世紀)近代への胎動【都市・領域支配・アジア間交易】
★斎藤紋子「総説 東南アジア世界の再編」池端雪浦他編『講座東南アジア史 5巻』岩波書店, 2002-2003.
● 弘末雅士『東南アジアの港市世界 : 地域社会の形成と世界秩序』岩波書店, 2004.
● 小泉順子「もう一つの「ファミリー・ポリティクス」」『講座東南アジア史 5巻』岩波書店, 2002-2003.
● Salman, Micheal. The Embarrassment of Slavery. Ateneo de Manila Press, 2001.
早瀬晋三「運輸・通信革命と東南アジアの植民地化」(『東アジア近現代史』1巻)
[キーワード]「伝統」国家、近代が示すもの、国境の確定、古代遺跡と植民地支配者の認識、近代統治の技術、首位都市、移民とメスティーソ文化、家族の変遷、奴隷制

第8週 6月7日 (世紀転換期)【革命と植民地支配】
★弘末雅士, 伊東利勝, 池端雪浦「変革への挑戦」池端雪浦『変わる東南アジア史像』山川出版社, 1994.
菅原由美「オランダ領東インドにおける植民地化とイスラーム」和田春樹他編『 岩波講座東アジア近現代通史 第1巻』岩波書店, 2010.
[キーワード]パトロン―クライアント関係、宗教運動、「つまみ食い」、「伝統」の創造、秩序/変革、外来/内在、国民としての統合、階級から見た統合、頼母子講(低利金融機関)、「市民社会」的倫理規範、国民像(フィリピノス)/国家像(フィリピナス)

第9週 6月14日 (20世紀前半)【植民地社会・順応・抵抗】
★根本敬「植民地化への対応」桐山昇,栗原浩英,根本敬『東南アジアの歴史: 人・物・文化の交流史 新版』有斐閣, 2019.
★西芳実「東南アジアにおけるナショナリズム研究の課題と現状」『東南アジア歴史と文化』32号, 2002年
内山文子「フィリピン独立と国民文化の模索」和田春樹他編『 岩波講座東アジア近現代通史 第3巻』岩波書店, 2010.
[キーワード]上からの近代化、下からの近代化、管区ビルマと山岳地域、ムラユ語、インドネシア青年の誓い、タイの民族・国王・仏教という理念、民族・階級・宗教の統合、各国のナショナリズムの特徴(カンボジア、タイ、ビルマ、フィリピン、マラヤ、インドネシア)、脱植民地化と国民国家の成立

第10週 6月21日 (1940年代)【帝国間戦争:日本占領とその影響】
★後藤乾一「総説 国民国家形成の時代」池端雪浦他編『講座東南アジア史 8巻』岩波書店, 2002-2003.
● 吉田裕「戦争と軍隊――日本近代軍事史研究の現在」『現代歴史学と軍事史研究 : その新たな可能性』校倉書房, 2012.
河西晃祐「「独立」国という「桎梏」」和田春樹他編『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店, 2010.
中野聡「南方軍政と植民地統治――帝国・日本の解体と東南アジア」倉沢愛子ほか編『岩波講座アジア・太平洋戦争第7巻』岩波書店, 2006.
[キーワード]「東南アジア」という概念、南方共栄圏の三区分(①宗主国との共同支配、②「同盟」、③軍政)、「ブルジョア的実務主義」vs.「「アジア主義的」同質原理」、集合意識の変化:「闘争精神」とファシズム、地域秩序、バンドン会議にみる第三世界主義、日本における道義論(=戦争責任論の後退)と現実主義の主流化、日本におけるアジア太平洋研究(軍事史、軍政関係論、軍隊と地域社会、地域研究としての戦争研究)、戦争犯罪研究とその困難

第11週 6月28日 (1950年代~1980年代)【アジア諸戦争:開発主義と共産主義】
★末廣昭「開発体制論」和田春樹他編『岩波講座東アジア近現代通史 第8巻』岩波書店, 2010.
● 古田元夫『歴史としてのベトナム戦争』大月書店, 1991.
中野聡「ベトナム戦争の時代」『岩波講座東アジア近現代通史 第8巻』岩波書店, 2010.
[キーワード]権威主義、キャッチアップ、国家中心、国家経済開発機関、国家による労使への介入、上からのナショナリズム、システム間競争、第一~第三次インドシナ戦争、「敵に勝ち目がないことを悟らせる」vs.「独立と自由ほど尊いものはない」、「辺境としてのベトナム」

第12週 7月5日 (1990年代)【民主化と経済発展】
★和田春樹「経済発展と民主革命」『岩波講座東アジア近現代通史 第9巻』岩波書店, 2010.
● 白石隆『インドネシア 新版』NTT出版, 1996.
● 清水展『文化のなかの政治 : フィリピン「二月革命」の物語』弘文堂, 1991.
● 根本敬『アウンサンスーチーのビルマ : 民主化と国民和解への道』岩波書店, 2015.
● 倉沢愛子『楽園の島と忘れられたジェノサイド : バリに眠る狂気の記憶をめぐって』千倉書房, 2020.
● 倉沢愛子『インドネシア大虐殺 : 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』中央公論新社, 2020.
古田元夫「ドイモイ路線の起源と展開」『岩波講座東アジア近現代通史 第9巻』岩波書店, 2010.
川村晃一「スハルト体制の崩壊とインドネシア政治の変容」『岩波講座東アジア近現代通史 第10巻』岩波書店, 2011.
[キーワード]9.30事件、イスラーム急進派・イスラーム穏健派・ナショナリスト・共産主義者、政党―青年団―メディア、「アジア諸戦争の時代」、SEATOとASEAN、経済発展の四要素(①外国企業の誘致、②日本の賠償、③日本を中心とした国際的な生産体制の構築、④自国以外の戦争)、民主化の三要素(①連鎖反応、②中国による「革命」輸出の取りやめ、③現前の暴力への反発)、ドイモイ、APEC、フィリピン・インドネシア・ミャンマーにおける民主化(研究)の特徴

第13週 7月12日 (20世紀末~21世紀)【消費主義・宗教】
★見市健「宗教」川中 豪, 川村晃一 『教養の東南アジア現代史』ミネルヴァ書房, 2020.
● 床呂郁哉, 西井凉子, 福島康博『東南アジアのイスラーム』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所, 2012.
新井健一郎「消費社会」山本信人監修・宮原曉編著『東南アジア地域研究入門2 社会』慶應義塾大学出版会, 2017.
片岡樹「信仰の軸線」山本信人監修・宮原曉編著『東南アジア地域研究入門2 社会』慶應義塾大学出版会, 2017.
[キーワード] 東南アジア島嶼部のイスラーム化、植民地主義に抵抗する宗教(イスラームのジハードやカーフィル、フィリピンのフォーク・カトリシズム、ベトナムの文紳)、宗教と近代合理主義(ナフダトゥル・ウラマー、ビルマ人団体総評議会)、諸宗教の融合(カオダイ教、ホアハオ)、国家の宗教に対する関与、パンチャシラ、少数派ムスリム(タイ南部・フィリピンのミンダナオ島)、政治家と宗教、ISとテロリズム

【授業の方法】
・毎回の授業で20~30頁ほどの概説的な文章を読んできます。
・ITC-LMSに、要点・問いを書いた400~600字程度のコメントシートを提出します。
・文献読解を基本に、参考文献を紹介する形で授業を進めます。
・毎回の授業でキーワードを10くらい出します。
・期末テスト(コロナ禍が収まっている場合)か期末レポート(教室でのテストが難しい場合)を課します。

【課題文献】
ITC-LMSから取得。

【履修上の注意他】

 歴史学を学ぶとは、記憶することではありません。現在から過去を捉え、そのような把握を通して現在を見つめなおす知的営為です。他方、東南アジア史は、歴史を語るときに、無意識の内に前提としてしまう枠組みをことごとく裏切ります。たとえば重要な政治上の変化、民族全体に影響を及ぼす大きな出来事、国家を率いた英雄やその行為、ある確固たる社会を前提としたその社会の変遷、権利の向上などの、いわゆる現在を到達点とした発展的な思考(これを歴史主義と呼びます)ではなかなか理解できません。ただ、この歴史主義は、発展を前提として描かれてきた西洋史、近現代日本史、アメリカ史などにおいても、現在大きく揺らいでいます。この点から、もしかしたら、東南アジア史は歴史主義の先を行く歴史を提供してくれているのかも知れません。
 このような難しさから、本授業ではやや古典的な歴史学の学習法に準ずるつもりです。つまり、キーワードを中心に理解を深めてもらいます。年号や固有名詞を数多く覚える必要はありませんが、時間軸における変化という歴史理解の基本を押さえるためには、その時代を把握する上での代表的な概念を覚える必要があります。また、その上で、その概念を肉づける具体例も知る必要があります。期末テストでは、この角度から受講者が東南アジア史を理解できたかを確かめます。
前提として多様な東南アジアについての記述に触れることが、東南アジア史を理解する上では必須です。というのも、マスター・ナラティブがないというか、未だに固まっていない、鉄のようなところがあるからです。以下のHPには東南アジア史の文献を色々と載せてありますので、活用してください。
https://taiheiokada.com/
リンク=>東南アジアに関する新書、東南アジア史に関する日本語入門書、東京外国語大学の学部生向けの基本文献紹介サイト